縁起

日曜寺の歴史

 当山は真言宗霊雲寺派で、光明山愛染院日曜寺と号し御本尊は愛染明王(天弓愛染明王)です。「新編武蔵風土記稿」によると開山は宥慶比丘で、正徳年間(1711~1716)に小堂を営んだのが始まりとあります。その後、享保年間に徳川八代将軍吉宗公の第二子田安宗武公(田安家初代徳川宗武)をはじめとした田安家の人々からの帰依をうけ再興いたしました。

 宗武公は有慶和尚への帰依とともに、愛染明王の威神力を讃仰して愛染明王像をはじめ多くの仏像や仏画、什器類等が奉納され当寺を深く尊信していた。更に宗武公の七男松平定信公(白河楽翁)も山門の扁額を奉納するなど篤信された。山門に架かる独特の草書体で揮毫された「日曜寺」の扁額は定信公の雄渾な筆跡であり、裏には文化十二年(1815年)七月二日従四位下源定信公とあり、往時を現在に伝える貴重な歴史資料といえ昭和六十年度に板橋区有形文化財に登録されました。また境内には江戸幕府連歌師であった、阪昌周歯髪埋納の碑や日曜寺を帰依する染色組合奉納の手水鉢や石造物等の文化財がございます。

山門

 昭和二十年四月第二次大戦の災禍に遭い堂宇悉く焼失したが、昭和四十五年四月新本堂が再建され、平成九年五月には本尊愛染明王の修復、令和元年六月には山門の改修が行われました。
当寺は田安家の祈願所であったが、縁結びを祈る善男善女の祈願寺と共に願いが矢の的に当たるが如くすみやかに叶えられることは深く信じられて参りました。また「愛染」が「藍染」に通じることから、染色業の守り本尊として多くの染色業者の人たちから篤い信仰をあつめ、古くから「板橋の愛染さま」として親しまれて来ました。

阪昌周歯髪埋納の碑